喜びの彼方

三年後、三年前を振り返り、微笑む私。

お金

お金なんていらないやって思っていたけれど、文化するにはお金がかかる。

本、音楽、観劇、絵画、アニメ、映画。活動するにはお金がかかる。

時間を作るためにも、お金が必要。

時間は有限です。お金は有限ではないでしょう。

お金を得るために、それを得る腕を身に付けんといかんね。

マネマネマネマネ(カネゴンになっていく〜)。

昔は本当にお金なんて必要ないってことにしていた。働くことは疲れるし、お金を得られる世代になるまでにかかる時間を考えれば、何も得られなくても疲れない場所に存在すればいいと考えていた。自分には、大人になって暮らしていけるなんて考えられなかった。あらゆるものを重く感じた。なにかが確かに凹んでいた。

三年後の自分がどのような返事を繰り出すのか、知らない。でも、へこたれた自分を、醜いとは今の僕は思わない。

死にたい、生きたくない、でも死ぬのは怖い。そんなことに縛られ続けた時代は過ぎ去った。今の僕に存在しているのは、今に生きようとする遠ざかる過去と時たまフラッシュバックする死に対する恐怖。

可能性を信じられない、可能性に恐怖する若者。続いていくこと、本来ならば未来になるはずの現在を、ただの殻として接し続ける、他人の話に付き合って、初めは感じなかった違和感がぶくぶくと膨らんでいき、まぶたがピクピク震え始めて止められなくなる、そんな人間が生きていけるはずがない。義理は義理で止めたいけれど、それが家族やメンツが変わらない友人たちの世界で始まったならば、なかなか勇気がいる。最初の一歩、つぎの一歩、そのまた次、次、次。

どちらの次を選び易いだろうか。義理を本当として守るか、守らないか。

嘘ではない。本当だった。本当を守ろうと躍起になる。躍起になるって異常なんだ。異常はどうしようもない。どのような弁明をすれば、何事もうまくいくのか。悪いことをしたつもりがなくても、結果的に悪いことになったとき、僕は心から謝ることができなかった。なにかを壊すことが怖かった。

越えれなかったものがいつのまにか突破できている、そのような甘い世界を望んで生きてきたけれど、そんなの実現するはずがない。自分の場所は自分が始めなければ、誰も始めない。因果が肉体。

どんな生き方でも考え方にでも変化できる。昨日までの自分が死んでも、肉体は変化することのない。

さて、どうしていくのかのって、なにもしない。今は帰りの電車に揺られているだけだし。空いた時間をどう使おうが僕の勝手。どうなろうとも、結果はいつも、表現される。