喜びの彼方

三年後、三年前を振り返り、微笑む私。

老人へ

自分自身の絆が消えていくというのは如何なるものか。
人が歳をとると自分の横にいたものたちが消えていく。
老人というものはその点で辛かろう生涯を覚えるのかと思う。
僕は僕自身が接してきた環境を手放してきたし積極的にそのものたちと友好を取り戻そうとはしなかった。フィードアウトした人間である。
彼らが何を考え思い行動しているのか僕の思考の範囲を越えている。あのとき始まったさまざまな感情、僕が受け継いだものは僕だけの実行物として接し続けている。それとはまた別の分野をみんなはそれぞれ行い続け、僕の想像を越えた生命を過ごし続けているはずだ。
誰かは子供を産んで、犯罪を犯して、病気になって、親友を傷つけ、美味しいものを食べて、異国で世界を学び、宇宙へと消えて、死んでいる。そういう様々な可能性の続きを今もまだ実行し続けている。そして僕は共にあることを拒否した。裏切り者かもしれない。
浦島太郎になるかもしれない。気づいてみればもう取り返しようもない時間の壁が僕と彼らの間に存在するのだ。もう達成した自らの感情を目の前にぶつけて僕は悲しみを覚えるかもしれない。
様々なものに僕自身を預けて、誰も知らないたった一つの僕たちは消失することで閉ざされてしまうのだ。
僕はそのことを少しずつ知っていく。人はドロップアウトするだけでなく消えてしまうのだ。塵一つ残すことなく。だから悲しいのだ。涙を覚えるのだ。僕自身の大切な時間が消えてしまうのだから。僕たちが僕でしかなくなってしまうのだから。